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福岡地方裁判所小倉支部 昭和40年(ワ)725号 判決

原告 安田順子

右訴訟代理人弁護士 豊沢秀行

被告 安部敬見

右訴訟代理人弁護士 山本石樹

被告 安藤正史

〈ほか三名〉

右四名訴訟代理人弁護士 大家国夫

主文

一、被告株式会社城戸組、同柳瀬房之助は各自、原告に対し金九八万五、〇〇〇円、及びこれに対する昭和四〇年一〇月二日から支払済みに至るまで、年五分の割合による金員を支払え。

二、原告の被告株式会社城戸組、同柳瀬房之助に対するその余の請求、及び被告安部敬見、同安藤正史、同北九州市に対する請求は、いずれもこれを棄却する。

三、訴訟費用中、原告と被告安部敬見、同安藤正史、同北九州市との間に生じたものは原告の負担とし、原告と被告株式会社城戸組、同柳瀬房之助との間に生じたものはこれを五分し、その一を右両被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四、この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告

(一)  被告らは各自、原告に対し金五〇〇万円、及び内金二〇〇万円に対する昭和四〇年一〇月二日から、内金三〇〇万円に対する昭和四四年三月一五日から、各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告らの負担とする。との判決並びに無担保仮執行宣言を求める。

二、被告ら

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決並びに被告ら敗訴の場合における仮執行免脱の宣言(被告株式会社城戸組、同柳瀬房之助のみ)を求める。

第二、請求原因

一、(本件交通事故の発生)

昭和三九年六月一日午後五時三〇分頃、北九州市若松区連歌浜通り若松車輛北側の三差路において、被告柳瀬房之助運転の普通貨物自動車(コンクリートミキサー車、以下本件自動車という)と原告乗車の自転車が衝突し、そのため原告は第二腰椎圧迫骨折、頭部、腰部、右臀部挫傷、両側手指、右膝、両側足部挫創の傷害を負った。

二、(被告安部敬見の診療行為)

そこで原告は被告安部敬見の経営する大安部外科医院に昭和三九年六月一日から同月二九日まで入院、同月三〇日から同年七月二二日まで通院して同被告の治療を受けた。しかしながら第二腰椎圧迫骨折の治療はなされなかった。

三、(被告安藤正史の診療行為)

その後原告は北九州市立若松病院に昭和三九年七月二三日から同年八月二六日まで通院、同月二七日から同年九月二五日まで入院して、外科医師である被告安藤正史の治療を受けたが、同様第二腰椎圧迫骨折の治療はなされなかった。

四、(後遺症の存在)

本件交通事故による受傷及び前記第二腰椎圧迫骨折の治療がなされなかったことにより、現在に至るも原告は腰痛その他身体各所にわたる痛みに悩まされ、超居動作もままならず、手足に力が入らないため軽度の労働しかできない。

五、(被告らの責任原因)

(一)  被告株式会社城戸組(自賠法三条)

被告会社は本件自動車の所有者で、これを事故当時自己のため運行の用に供していたものである。

(二)  被告柳瀬房之助(民法七〇九条)

被告柳瀬は本件自動車を運転して本件事故現場に差しかかったのであるが、右の方の道路から自転車で交差点に進入し右折しようとしている原告を相当遠距離で認めたのであるから、運転者としては当然滅速し原告の動向を注視すべき業務上の注意義務があったにもかかわらず、同被告はかかる配慮を欠きそのまま突進した過失により、自車の前部を原告の自転車の後部に追突させたものである。

(三)  被告安部敬見(民法七〇九条)

被告安部は本件事故直後の昭和三九年六月一日の初診時、原告が特に第一ないし第三腰椎部の激痛を訴え、同被告は第一回目のレントゲン写真の所見として第二腰椎の変形につき疑問をもち、骨折なりや否や不明と診断した。同被告は外科専門医としてかかる場合、当然右原因の追求をなすべきであり、少くとも苦痛を訴える第一ないし第三腰椎部につき、医学の常識である前後部及び側面よりレントゲン撮影をなす等の措置をとれば、容易に第二腰椎骨折を発見しうべかりしものであった。しかるに同被告は五〇余日の加療期間中、わずか二回前後各一葉づつのレントゲン写真を撮影したに止まり、最も肝要な側面からの撮影をなさず、原告の前記骨折を看過した。そのため早期発見による整復固定等、右骨折加療に適切なる治療を不可能とならしめたもので、これは同被告の医師としての注意義務を怠った行為であることは明らかである。

(四)  被告安藤正史(民法七〇九条)

被告安藤は前記の期間原告の治療を担当したが、同被告は整形外科の専門医であり、且つ被告安部医師より精密な検討を依頼された患者であるので、豊富な診療医具設備を駆使し、原告の傷害の部位程度を正確に診断し、これに対する適当な加療を加える義務あるにもかかわらず、原告より腰背部の苦痛を訴えられながら、レントゲン撮影等初歩的な原因解明の努力すらせず、第二腰椎骨折の事実を看過し、漫然苦痛止めの注射を形式的になしたに止まり、右骨折に対する適切な加療を行わなかったもので、同被告の過失も明らかである。

(五)  被告北九州市(民法七一五条)

右のように被告安藤は業務上の過失により原告に損害を与えたのであるが、被告北九州市は北九州市立若松病院の経営主であり、被告安藤を雇用していたものである。

六、(原告の損害額)

(一)  逸失利益

原告は本件事故発生まで自宅で洋裁を専業とし、内弟子二名をおき業務に追われ、年間一〇〇万円前後の収入を得ていたが、本件事故により昭和三九年六月一日から同四一年二月末まで二一ヶ月間洋裁業務は一切とることができず(月八万円としてこの間の逸失利益金一六八万円)、昭和四一年三月からは時折洋裁を始めたが、腰部の苦痛が甚しく昭和四四年二月末まで三六ヶ月間は毎月一万円程度の収入しか得られなかった(月七万円としてこの間の逸失利益金二五二万円)。したがって前記傷害による原告の逸失利益は合計金四二〇万円となるが、本訴においてはこのうち金三五〇万円を請求する。

(二)  慰藉料

原告は前記傷害及びその後遺症のため甚大な肉体的精神的苦痛を受け、現在においても完治せず将来の生活の不安も解消しないので、これらの苦痛に対する慰藉料は金三〇〇万円が相当であるが、本訴においてはこのうち金一五〇万円を請求する。

(三)  共同不法行為(民法七一九条)

右損害は被告柳瀬による本件交通事故と被告安部、同安藤による診療の際の前記のような注意義務懈怠とが重なり合って発生したもので、右被告ら三名の責任の範囲を区分することができないので、右被告らは共同不法行為者として全額につき連帯して責任を負うべきものであり、したがって被告会社及び被告北九州市も全額につき責任を負うべきである。

七、(結論)

よって原告は被告ら各自に対し、前項(一)(二)合計金五〇〇万円、及び内金二〇〇万円((一)(二)のうち各一〇〇万円)に対する本件事故発生後である昭和四〇年一〇月二日から、内金三〇〇万円((一)のうち二五〇万円、(二)のうち五〇万円)に対する請求並びに請求原因追加変更の申立書送達の翌日である昭和四四年三月一五日から、各支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

≪以下事実省略≫

理由

一、本件事故の発生と原告の受傷

(一)  請求原因第一項記載の事故が発生したことは原告と被告会社、同柳瀬、同安部との間では争いがなく、被告安藤、同北九州市との間では≪証拠省略≫によりこれを認める。

(二)  右事故により原告が全身にわたり打撲傷挫傷を負ったことは、原告と被告安部との間では争いがなく、被告会社、同柳瀬、同安藤、同北九州市との間では≪証拠省略≫により認められる。また≪証拠省略≫によれば、原告は右事故により同時に第二腰椎圧迫骨折の傷害も負ったことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫

二、被告会社、同柳瀬の責任

(一)  本件自動車が被告会社の所有であることは、原告と同被告との間に争いがないので、同被告は特段の事実の証明がない限り、これを自己のために運行の用に供するものと推定すべく、同被告はこれを訴外合資会社遠見建材店の業務のため運行の用に供していたと主張するが、これを認めるに足りる証拠はないので、同被告は本件自動車の運行供用者として自賠法三条但書の免責事由を主張立証しない限り、本件事故の責任を免れないものといわざるをえない。

(二)  そこで被告会社の免責事由の存否につき判断するに、≪証拠省略≫を総合すると、本件事故現場は幅員一九・三メートルの南北に結ぶ道路と幅員七メートルの東西に結ぶ道路とが交差する交通整理の行われていない交差点上であって、南北に結ぶ道路の中央部分に貨物線の軌道敷があり、その西側約四メートルのみコンクリート舗装がなされているところであるが、被告柳瀬は事故直前本件自動車を運転して右コンクリート舗装部分の左寄り(東側)を時速四〇キロメートル位の速度で南に向け右交差点に近づいて来たところ、交差点の右側(西側)道路から原告が自転車で進入しようとしているのを約一五メートル先に認めたものの、直ちに減速したり警音機を鳴らしたりすることなく、そのまま進行を続けたところ、原告が自転車に乗って急に本件自動車の進路前方に出て来たのを約九メートル前方に認め、急制動をかけたが間に合わず、交差点を南側に出かかるあたりで右自転車に追突したことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫右事実によると、被告柳瀬は交差点に進入しようとする原告の自転車を認めながら、警音機を鳴らして自車の接近を知らせることをせず、その上直ちに減速するなり左側の軌道敷に逃げるなりして衝突を回避する措置を講じなかった点において、過失の責を免れないものというべきである。そうすると、その余の点につき判断するまでもなく、被告会社の免責の抗弁は採用できず、同被告は運行供用者としての責任を免れない。また、右事実によると被告柳瀬も直接の不法行為者としての責任を負うべきである。

(三)  前記認定のとおり、原告は本件自動車が近づいて来ているのに、突然その進路前方に飛び出したことは明らかで、この過失は右被告ら両名の原告に対する損害賠償額を算定するにあたり斟酌すべきであり、その割合はおおよそ五割とみるのが相当である。

三、被告安部の診療行為とその責任

(一)  原告が本件事故により被告安部の経営する大安部外科医院に昭和三九年六月一日から同月二九日まで入院、同月三〇日から同年七月二二日まで通院して、同被告の治療を受けたことは原告と同被告との間では争いがない。また≪証拠省略≫によると、原告は事故後間もなく被告安部の診察を受けたが、身体各部に挫傷があった上に、原告が全身の痛みを誇大に訴え、特に腰部の疼痛を訴えたので、腰部のX線写真を一葉(前後像)撮影したこと、その結果同被告は原告の第二腰椎に異状を認め、骨折があるのではないかと一応は疑ったが、右写真やその他の所見から骨折と断定するまでには至らなかったこと、そこで同被告は受傷部の消毒、腰部の湿布、鎮痛剤、安静剤の投薬、注射をし、安静にしているよう命じて、その後二九日間にわたる入院期間中同様の治療を施したこと、そのため原告の外傷は徐々に快方に向い、同年六月一四日には坐ることができるようになって注射も止め、同月二二日には歩行できるようになり同月二九日退院したこと、その後原告はほとんど毎日通院して赤外線、湿布等の治療を受けたが、同被告は原告からなおも腰部の疼痛を訴えられ、受傷からの経過を見るためにさらに撮影した腰部のX線写真(前後像)からも異状が感ぜられたので、第二腰椎損傷ないし根性神経痛の疑いをもち、精密検査の必要があるものと認め、より設備の完備している北九州市立若松病院を紹介して転医の措置をとったことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫

(二)  原告は、被告安部が第二腰椎に異状を認めながら、側面からのX線撮影等当然すべきその原因の追及をせず、そのため第二腰椎圧迫骨折を看過して、整復固定等の早期の適切な治療を不可能ならしめた点において、同被告に過失があると主張する。そこで判断を加えるに、前掲鑑定の結果によれば、大要「被告安部が初診時撮影した前後像のX線写真からも注意して見れば第二腰椎圧迫骨折の判断をすることが可能である。整形外科専門医であれば、背椎の外傷には少くとも前後と側面からのX線撮影を行うはずで、そうすれば本件骨折の診断もより容易であった。早期に原告の圧迫骨折が診断され、ベーラー法またはそれに準じた治療がなされていたならば、原告の椎体の変形は最小限度に止め得たものと考えられ、背痛も早期に治癒し後遺症も残さぬ可能性があった。」とされており、証人入江政男もほぼ同旨の証言をしているので、医師として高度の注意義務を課せられている被告安部としては、原告を初診し前後像のX線写真から骨折があるのではないかと一応は疑ったのであるから、その有無を確かめるために側面からのX線撮影も行い、第二腰椎圧迫骨折を発見して早期にベーラー法その他適切な治療法を採用すべきだったとも一応は考えられる。ところで≪証拠省略≫によれば、ベーラー法とは腰椎損傷に一般的に採用されている治療方法であるが、この方法はまず新鮮時(遅くとも受傷後一週間位まで)に患者を腹ばい状態にし局所麻酔をした上、身体を背側に向って強く押し曲げてつぶれた椎体を整復し、胸から臀部までギブスで固定し、そのまま八週間ないし一〇週間おいた後、軟性コルセットを着用させ体操療法などを試みる治療法であって、時期を失すると効果が全く期待できない(その後は変形は直らず対症療法が残るのみ)方法であるばかりでなく、これを採用しても椎体の変形が矯正できず疼痛が解消しない場合も多々あるので、単純な圧迫骨折の場合にはこれを採用しない立場をとる医師もある上に、患者の身体がほっそりしていることや年令が若いことが条件となっていて、全身に外傷がある場合などには採用できない治療法であることが認められる。そこで原告の本件傷害の場合被告安部においてベーラー法を採用することを適当とする条件がそなわっていたか否かを検討するに、前記のとおり原告は当初全身にわたる打撲傷挫傷を負いその痛みを誇大に訴えていた上に、≪証拠省略≫によれば、原告の性格は多分に神経質、ヒステリー性であり(公判廷における供述態度からそのことはうかがえる)、年令も当時三〇才とさほど若くないことが認められるので、受傷当時はベーラー法の如きある意味では身体に苦痛を強いる治療には精神的にも肉体的にも耐えられないということも充分考えられる。また前記のとおり、ベーラー法を採用しても椎体の変形が矯正できず疼痛が解消しないことも多くあるのであるから、これらの条件を勘案すると、本件受傷直後原告にベーラー法を施すことは必ずしも適切でなく、また前記原告の回復経過からみると、ベーラー法による効果を期待しうる一週間位までの間に、右治療法を採用しうる条件が整ったと認めることもできない。

(三)  以上説示のところからすると、一般的にいえば原告主張のように、腰椎に異状を認めたならば、側面からのX線撮影等を行ってその原因の追及をなすべきであるが(設備の不備はこの義務を免れる理由にならない)、原告の場合は原因の追及をして第二腰椎圧迫骨折と傷病名を確定しても、原告の主張する整復固定(ベーラー法のことと思われる)等の治療を早期に行うことは期待できなかった場合である。而して≪証拠省略≫によれば、同被告は前記条件をも考慮に入れた上、まずは外傷の治療が先決で、側面からのX線撮影を行っても無駄であると判断してその撮影をせず、ベーラー法を採用しないで第二腰椎圧迫骨折にもある程度効果があるといわれている安静療法を中心とする治療をなしたことが認められるから、右の点において同被告に医師としての過失を認めることはできない。またその他同被告に治療上の過誤を認めるに足りる証拠はないから、その余の点につき判断するまでもなく、同被告に対する本訴請求は理由がない。

(四)  なお仮に被告安部が原告を第二腰椎圧迫骨折と診断せずベーラー法を採用しなかった点において過失が認められるとしても、ベーラー法を採用しても椎体の変形が矯正されず疼痛が解消しないことが多いことは前記のとおりであるから、後記原告の後遺症が右治療上の過誤により生じあるいは重くなったと断定することはできず(ベーラー法を採用したとしても同じ経過をたどったことも充分考えられる)、即ち不法行為と損害の発生との因果関係を認めるに足らないので、この点からも被告安部の責任は認められない。

四、被告安藤の診療行為と同被告、被告北九州市の責任

(一)  原告が北九州市立若松病院に昭和三九年七月二三日から同年八月二六日まで通院、同月二七日から同年九月二五日まで入院して、被告安藤の治療を受けたことは原告と同被告、被告北九州市との間では争いがない。また≪証拠省略≫によれば、被告安藤は同安部に依頼されて原告を診察治療にあたったが、原告の持参した前記被告安部の撮影した二葉のX線写真を観察したところ、第二腰椎にわずかの変化は認められたものの、腰部等の運動制限が見られなかったこともあって、圧迫骨折の疑いはもったがその診断はしなかったこと、また被告安藤は第二腰椎圧迫骨折であるとしてもベーラー法による根本的な治療は時期が遅くて期待できず、再度のX線撮影をしてその傷病名を確定しても意味がないと判断し、原告も希望しなかったので改めてX線撮影を行うことをしなかったこと、そして腰痛を軽減させるためマッサージや骨盤牽引などの治療をしたことが認められ(る)。≪証拠判断省略≫ところで前記認定のとおり、ベーラー法は受傷後遅くとも一週間内になされなければ効果が全く期待できず、その後は痛みを軽減させるための対症療法しか残されていないのであるから、受傷後五三日を経過して原告を初診した被告安藤としては、もはやベーラー法等の椎体の変形を矯正させるための根本的な治療法は採用するに由なく、したがってその前提として傷病名を確定するための再度の撮影を行うことも無駄であったものと思われる。よって被告安藤が再度のX線撮影をせず疼痛を軽減させるための治療をするにとどめたこともけだしやむをえなかったものというべく、その治療方法が不適切であったことを疑わせる証拠もないから、同被告の治療上の過誤は認めることはできず、その余の点につき判断するまでもなく、原告の同被告に対する本訴請求は理由がない。

(二)  被告安藤の不法行為による責任が認められない以上、被告北九州市に対しその使用者責任を求めることはできず、同被告に対する本訴請求も理由がない。

五、本件事故による損害(原告と被告会社、同柳瀬との間においてのみ判断する)

(一)  原告の治療経過、後遺症の存在

≪証拠省略≫を総合すると、原告は本件事故による傷害のため、大安部外科医院に昭和三九年六月一日から同月二九日まで入院、同月三〇日から同年七月二二日まで通院して治療を受けたが、外傷は徐々に快方に向ったものの、腰部の疼痛はなかなか消えなかったこと、そのため同月二三日北九州市立若松病院に転院し、同日から同年八月二六日まで通院、同月二七日から同年九月二五日まで入院して治療を受けたが、身体各部の運動制限は見られないのに反し、腰部の疼痛は相変らずであったこと、それで同年一〇月七日から昭和四〇年八月四日まで九州厚生年金病院に週に一回位づつ通院して治療を受けるようになったが、腰痛は相変らずでその他頭痛や身体中痛みがかけめぐることなどを訴えるようになったこと、そして同病院の治療によりその痛みは幾分よくなったが、現在に至るも腰痛や頭痛が残っていて、長く坐ることが困難であること、しかし歩いたり自転車に乗ったりするには支障がなく、洋裁業務程度にはほとんど影響を及ぼさないと見られること、原告の第二腰椎圧迫骨折の程度は腰椎骨折としては軽い方であって、現在の腰部の疼痛は骨折そのものはほとんど治癒したものの、その後遺症としての筋痛と多分に自覚的神経症状であると見られ、頭痛なども同様神経的なものが大きいと見られること、右後遺症は適切な治療を施すことにより遠からず完治すると思われること、以上の事実が認定でき(る。)≪証拠判断省略≫なお右後遺症は医師の治療上の過誤が認められないこと前記のとおりである以上、すべて本件事故そのものとの因果関係を認めるべである。

(二)  逸失利益

≪証拠省略≫を総合すると、原告は本件事故当時自宅で二人の見習を通勤させて洋裁業を営み、相当多額の預金を有していて他人に金を貸したりしていたこと、右の見習には月に一人一万円づつ渡していた外昭和三八年頃まで大学在学中の弟に月に二万円位送金していたこと、市民税は右の所得を申告しなかったため納めていなかったこと、本件事故後はほとんど洋裁をしなくなり、その収入は途絶えたことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。而して以上の事実からだけでは、当時原告がどの程度の収入を得ていたか必ずしも明らかでなく、月に八万円位の収入を得ていたという原告本人の供述はにわかに措信できないが、少くとも月額六万円程度の収入はあったものと推認できる。そして本件事故後洋裁業はほとんどしなくなったことは前記のとおりであるが、前(一)記載の原告の回復状況をみると、これをすべて本件事故による傷害に起因すると断定することはできず、原告主張の昭和四四年二月までの期間についてみると、市立若松病院退院直後の昭和三九年九月末まで四ヶ月間は全く稼働できず右収入を得られなかったものということができるが、その後については九州厚生年金病院へ通院しなくなった昭和四〇年八月末まで一一ヶ月間は稼働能力のおよそ五〇パーセントを失ったものというべく、その割合の逸失利益のみ本件事故との因果関係を認めうるものの、その後は本件全証拠によるも稼働能力の喪失を認定しえず、仮に収入がなかったとしても本件事故との因果関係は認められない。以上の逸失利益の合計額を計算すると五七万円となるが、前記本件事故に対する原告の過失を斟酌すると、このうち被告会社、同柳瀬に請求しうべきものは金二八万五、〇〇〇円となる。

(三)  慰藉料

前記原告の治療経過、後遺症、原告の過失その他諸般の事情を考慮すると、慰藉料は金七〇万円をもって相当と認める。

六、結論

以上によって、原告の被告会社、同柳瀬に対する本訴請求は、各自に対し、前項(二)(三)を合計した各金九八万五、〇〇〇円、及びこれに対する本件事故発生後である昭和四〇年一〇月二日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当として認容し、右被告両名に対するその余の請求及び被告安部、同安藤、同北九州市に対する請求はこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項、仮執行の宣言につき同法一九六条一項(仮執行免脱の宣言は相当でないと認め付さない)をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 森永龍彦 裁判官 寒竹剛 清田賢)

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